2015年01月31日
ききみみ…昔話♪
ききみみあんこの今日のお話は~
テングの腕比べ
むかしむかし、
中国にチラエイジュというテングがいました。

このテングがはるばる海の上を飛んで来て、
日本にやって来ました。
そして、日本のテングに言いました。
「わが中国の国には偉い坊さんがたくさんいるが、
われわれの自由にならぬ者は一人もいない。
日本にも修行をつんだ偉い坊さんがいると聞いたので、
わざわざやって来たのだ。
一つその坊さんたちにあって腕比べをしたいと思うが、どうであろう」
中国のテングは、偉そうな態度で言いました。
日本のテングはその態度に腹を立てましたが、
しかしそんなそぶりは見せず、丁寧な口調で言いました。

「それは、それは。遠いところを、わざわざごくろうさまです」
実は日本には、名僧、高僧と呼ばれる偉い坊さんがたくさんいて、
テングたちよりも強いのです。
そこでこの傲慢(ごうまん)な中国テングに、
ギャフンと言わせてやろうと思ったのです。
「いや、この国の偉い坊さんといっても、あまり大した事はありません。
我々でも、こらしめてやろうと思えばいつでも出来ます。
しかし、せっかく遠い国から来られたのですから、
適当な坊さんを、二、三人お教えしましょう。
どうぞ、わたしと一緒においで下さい」
そう言って日本のテングは、
中国のテングを連れて比叡山(ひえいざん)にやって来ました。
そこは、京都から比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)にのぼる道です。
「わたしたちは人に顔を知られているから、
あの谷のやぶの中に隠れておりましょう。
あなたは年寄りの法師に化けて、ここを通る人をこらしめて下され」

そう言うと日本のテングは、さっさとやぶに隠れてしまいました。
そして、中国のテングの様子をうかがっていました。
中国のテングは、見事な老法師(ろうほうし)に化けました。
しばらくすると山の上から、余慶律師(よぎようりつし)という坊さんが
手ごしに乗り、たくさんの弟子たちを従えて京都の方に下りて来ました。
余慶律師の一行は、次第に近づいて来ました。
(さて、いよいよだぞ)
しかし、ふと中国のテングの方を見ると、もう姿が見えません。
余慶(よぎよう)の方は何事もない様に、
静かに山を下って行きました。
(おかしいな、どこへ行ったんだ?)
そう思いながら中国のテングの探すと、
何と南の谷にお尻だけ上に突出して、
ブルブルと震えているではありませんか。
日本のテングは、そこへ近寄ると、
「どうしてこんな所に、隠れておられるのか?」
と、尋ねました。
すると中国のテングは、わなわなと震える声で、
「さっき通ったお方は、どなたじゃ?」
と、尋ねました。
「余慶律師という、お方でござる。
それより、なぜこらめしては下さらんのじゃ?」
日本のテングが言うと、中国のテングは頭をかきながら、
「いやそれ、その事でござる。
一目見て、これがこらしめるという相手だとすぐにわかった。
そこで立ち向かおうとしたのだが、
何と相手の姿は見えず、手ごしの上は一面の火の海。
これはとうていかなわぬと思って、隠れたというわけでござる」
それを聞いた日本のテングは、心の中でニヤリと笑いました。
(やはり中国のテングと言っても、大した事はない。
もう少しからかってやれ)
しかし、真面目くさった顔をして言いました。
「はるばると中国の国からやって来られて、
これしきの者さえ、こらしめる事が出来ないとは。
今度こそは、必ずこらしめてくだされ」
「いや、いかにも、もっともでござる。よし、見ておられい。
今度こそは必ずこらしめてごらんにいれよう。ふん! ふん!!」

中国のテングは気合を入れると、また老法師に化けました。
しばらくすると、また手ごしに乗った坊さんが山を下りて来ました。
それは、深禅権僧正(しんぜんごんそうじょう)という坊さんで、
手ごしの少し前には、先払いの若い男が太い杖をついて歩いています。
日本のテングは、やぶの中からじっと見ていました。
中国のテングは手ごしの近づいてくると、
通せんぼうする様に立っていましたが、
先払いの若い男が怖い顔をして太い杖を振り上げると、
思わず頭をかかえてそのまま一目散に谷に駆け下りました。
「いかがなされた。また、逃げて来られたではないか」
日本のテングは、やぶの中から声をかけました。
すると中国のテングは、苦しそうに息をはずませながら、
「無理な事を言われるな。手ごしの方どころか、
あの先払いにさえ近寄る事が出来ぬわ」
「そんなに、恐ろしい相手でござるか」
「いかにも。
わしの羽の早さは、はるか中国から日本まで飛ぶ事が出来るが、
とてもあの男の足の早さにはかなわぬ。
もし捕まったら、あの太い鉄の杖で頭をぶちわられてしまうわ」
「さようか。では、次こそ頑張って下され。
せっかく日本まで来られたのに、手柄話一つなしに帰られたとあっては、
めんぼくない事ではござらぬか」
日本のテングはそう言うと、さっさとやぶの中に入ってしまいました。
中国のテングは仕方なく、次に来る坊さんを待つ事にしました。
しばらく待っていると、下の方からたくさんの人が
山を上って来るのが見えました。
先頭には、赤いけさを着た坊さんがいて、
その次には若い坊さんが、立派な箱をささげて続きます。
その後ろから、こしに乗った人が山を上って来たのでした。
そして、こしの左右には二十人ぐらいの童子たちが、
こしを守る様にしてついています。
このこしに乗っている人こそ、
比叡山延暦寺の慈恵大僧正(じえだいそうじょう)で、
一番偉い坊さんだったのです。
日本のテングは、やぶの中からそっとあたりを見回しました。
しかし中国のテングの老法師の姿は、どこにも見えません。
「また逃げたかな。
それとも、どこかに隠れて、すきを狙っているのかな」
すると童子たちの中の一人が、
大声で話しているのが聞こえてきました。
「こういう所には、とかく仏法(ぶっぽう)の妨げをする者が
ひそんでいるものだ。よく探してみようではないか」
すると元気のいい童子たちは、手に手に棒きれを持って、
道の両側に散らばって行きました。
見つけられては大変と、
日本のテングはやぶの中深く潜って行き、そっと息をひそめていました。
と、谷のすぐ向う側で、童子たちの怒鳴っている声が聞こえてきました。
「そら、ここに怪しい者がいるぞ。ひっとらえろ!」
「何だ、誰がいたのだ?」
「おいぼれの法師が隠れていたぞ。
あの目を見ろ、普通の人間には見えぬぞ」
(大変だ。中国のテングが、とうとう捕まったぞ)

日本のテングも恐ろしさに、
ただ頭を地にすりつけるようにして、じっとひれ伏していました。
やがて足音が、遠ざかって行きました。
日本のテングは、そっとやぶからはい出すと、
あたりを見回しました。
すると十人ばかりの童子たちが、
老法師姿の中国テングを取り巻いているのが見えました。
「どこの法師だ、名前を言え。
なんの用があって、こんな所に隠れていた!」
一人の童子が、大声で言いました。
中国のテングは大きな体を小さくして、あえぎあえぎ答えました。
「わたくしは、中国から渡って来た、テングでございます」
「なに、中国のテングか。何をしに来たんだ」
「はい、偉いお坊さんが、ここをお通りになると聞いて待っていました。
一番始めにこられたお坊さんは、
火界(かかい)の呪文を唱えておられたので、
こしの上は一面の火の海でございました。
うっかり近寄ろうものなら、
こちらが焼け死んでしまいますので、一目散に逃げました。
次に来られたお坊さんは、不動明王(ふどうみょうおう)の呪文を
唱えておられたうえに、セイタカ童子が鉄の杖を持って守っておられました。
それでまた、大急ぎで逃げました。
今度のお坊さまは、恐ろしい呪文はお唱えにならず、
ただ、お経を心の中でよんでおられただけでした。
それで恐ろしいとも思わなかったのですが、
こうして、捕まえられてしまいました」
中国のテングが、やっとこう答えると、童子たちは、
「大して、重い罪人でもなさそうだ。許して逃がしてやろう」
と、言って、みんなでひと足ずつ老法師の腰を踏みつけると、
向こうへ行ってしまいました。
慈恵大僧正(じえだいそうじょう)の一行が山を上って行ってしまうと、
日本のテングはそっとやぶの中からはい出して来ました。
そして腰の辺りをさすっている、中国のテングのそばに行きました。
「いかがなされた。今度は、うまく行きましたかな?」
日本のテングは、しらぬ顔で聞きました。
すると中国のテングは、目に涙を浮かべながら答えました。
「そんな、ひどい事を言って下さるな。
さながら、生き仏の様な徳の高い名僧たち相手に、
勝てるはずもないではないか」
「ごもっともでござる。
しかし、あなたは中国という大国のテングではござらぬか。
それゆえ、日本の様な小国の人など、たとえ高僧、名僧とはいっても、
心のままにこらしめる事が出来ると思うたまでの事でござる。
・・・が、この様に腰まで折られるとは、まことにお気の毒な事でござるわ」
日本のテングもさすがに気の毒だと思い、
中国のテングを北山にある温泉に連れて行きました。

そして折られた腰を温泉に入れて治してやってから、
中国の国へ送り返してやったという事です。
おしまい
長文のお話を最後までお読みいただいてありがとうございましたm(*^_^*)m
テングの腕比べ
むかしむかし、
中国にチラエイジュというテングがいました。

このテングがはるばる海の上を飛んで来て、
日本にやって来ました。
そして、日本のテングに言いました。
「わが中国の国には偉い坊さんがたくさんいるが、
われわれの自由にならぬ者は一人もいない。
日本にも修行をつんだ偉い坊さんがいると聞いたので、
わざわざやって来たのだ。
一つその坊さんたちにあって腕比べをしたいと思うが、どうであろう」
中国のテングは、偉そうな態度で言いました。
日本のテングはその態度に腹を立てましたが、
しかしそんなそぶりは見せず、丁寧な口調で言いました。

「それは、それは。遠いところを、わざわざごくろうさまです」
実は日本には、名僧、高僧と呼ばれる偉い坊さんがたくさんいて、
テングたちよりも強いのです。
そこでこの傲慢(ごうまん)な中国テングに、
ギャフンと言わせてやろうと思ったのです。
「いや、この国の偉い坊さんといっても、あまり大した事はありません。
我々でも、こらしめてやろうと思えばいつでも出来ます。
しかし、せっかく遠い国から来られたのですから、
適当な坊さんを、二、三人お教えしましょう。
どうぞ、わたしと一緒においで下さい」
そう言って日本のテングは、
中国のテングを連れて比叡山(ひえいざん)にやって来ました。
そこは、京都から比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)にのぼる道です。
「わたしたちは人に顔を知られているから、
あの谷のやぶの中に隠れておりましょう。
あなたは年寄りの法師に化けて、ここを通る人をこらしめて下され」

そう言うと日本のテングは、さっさとやぶに隠れてしまいました。
そして、中国のテングの様子をうかがっていました。
中国のテングは、見事な老法師(ろうほうし)に化けました。
しばらくすると山の上から、余慶律師(よぎようりつし)という坊さんが
手ごしに乗り、たくさんの弟子たちを従えて京都の方に下りて来ました。
余慶律師の一行は、次第に近づいて来ました。
(さて、いよいよだぞ)
しかし、ふと中国のテングの方を見ると、もう姿が見えません。
余慶(よぎよう)の方は何事もない様に、
静かに山を下って行きました。
(おかしいな、どこへ行ったんだ?)
そう思いながら中国のテングの探すと、
何と南の谷にお尻だけ上に突出して、
ブルブルと震えているではありませんか。
日本のテングは、そこへ近寄ると、
「どうしてこんな所に、隠れておられるのか?」
と、尋ねました。
すると中国のテングは、わなわなと震える声で、
「さっき通ったお方は、どなたじゃ?」
と、尋ねました。
「余慶律師という、お方でござる。
それより、なぜこらめしては下さらんのじゃ?」
日本のテングが言うと、中国のテングは頭をかきながら、
「いやそれ、その事でござる。
一目見て、これがこらしめるという相手だとすぐにわかった。
そこで立ち向かおうとしたのだが、
何と相手の姿は見えず、手ごしの上は一面の火の海。
これはとうていかなわぬと思って、隠れたというわけでござる」
それを聞いた日本のテングは、心の中でニヤリと笑いました。
(やはり中国のテングと言っても、大した事はない。
もう少しからかってやれ)
しかし、真面目くさった顔をして言いました。
「はるばると中国の国からやって来られて、
これしきの者さえ、こらしめる事が出来ないとは。
今度こそは、必ずこらしめてくだされ」
「いや、いかにも、もっともでござる。よし、見ておられい。
今度こそは必ずこらしめてごらんにいれよう。ふん! ふん!!」

中国のテングは気合を入れると、また老法師に化けました。
しばらくすると、また手ごしに乗った坊さんが山を下りて来ました。
それは、深禅権僧正(しんぜんごんそうじょう)という坊さんで、
手ごしの少し前には、先払いの若い男が太い杖をついて歩いています。
日本のテングは、やぶの中からじっと見ていました。
中国のテングは手ごしの近づいてくると、
通せんぼうする様に立っていましたが、
先払いの若い男が怖い顔をして太い杖を振り上げると、
思わず頭をかかえてそのまま一目散に谷に駆け下りました。
「いかがなされた。また、逃げて来られたではないか」
日本のテングは、やぶの中から声をかけました。
すると中国のテングは、苦しそうに息をはずませながら、
「無理な事を言われるな。手ごしの方どころか、
あの先払いにさえ近寄る事が出来ぬわ」
「そんなに、恐ろしい相手でござるか」
「いかにも。
わしの羽の早さは、はるか中国から日本まで飛ぶ事が出来るが、
とてもあの男の足の早さにはかなわぬ。
もし捕まったら、あの太い鉄の杖で頭をぶちわられてしまうわ」
「さようか。では、次こそ頑張って下され。
せっかく日本まで来られたのに、手柄話一つなしに帰られたとあっては、
めんぼくない事ではござらぬか」
日本のテングはそう言うと、さっさとやぶの中に入ってしまいました。
中国のテングは仕方なく、次に来る坊さんを待つ事にしました。
しばらく待っていると、下の方からたくさんの人が
山を上って来るのが見えました。
先頭には、赤いけさを着た坊さんがいて、
その次には若い坊さんが、立派な箱をささげて続きます。
その後ろから、こしに乗った人が山を上って来たのでした。
そして、こしの左右には二十人ぐらいの童子たちが、
こしを守る様にしてついています。
このこしに乗っている人こそ、
比叡山延暦寺の慈恵大僧正(じえだいそうじょう)で、
一番偉い坊さんだったのです。
日本のテングは、やぶの中からそっとあたりを見回しました。
しかし中国のテングの老法師の姿は、どこにも見えません。
「また逃げたかな。
それとも、どこかに隠れて、すきを狙っているのかな」
すると童子たちの中の一人が、
大声で話しているのが聞こえてきました。
「こういう所には、とかく仏法(ぶっぽう)の妨げをする者が
ひそんでいるものだ。よく探してみようではないか」
すると元気のいい童子たちは、手に手に棒きれを持って、
道の両側に散らばって行きました。
見つけられては大変と、
日本のテングはやぶの中深く潜って行き、そっと息をひそめていました。
と、谷のすぐ向う側で、童子たちの怒鳴っている声が聞こえてきました。
「そら、ここに怪しい者がいるぞ。ひっとらえろ!」
「何だ、誰がいたのだ?」
「おいぼれの法師が隠れていたぞ。
あの目を見ろ、普通の人間には見えぬぞ」
(大変だ。中国のテングが、とうとう捕まったぞ)

日本のテングも恐ろしさに、
ただ頭を地にすりつけるようにして、じっとひれ伏していました。
やがて足音が、遠ざかって行きました。
日本のテングは、そっとやぶからはい出すと、
あたりを見回しました。
すると十人ばかりの童子たちが、
老法師姿の中国テングを取り巻いているのが見えました。
「どこの法師だ、名前を言え。
なんの用があって、こんな所に隠れていた!」
一人の童子が、大声で言いました。
中国のテングは大きな体を小さくして、あえぎあえぎ答えました。
「わたくしは、中国から渡って来た、テングでございます」
「なに、中国のテングか。何をしに来たんだ」
「はい、偉いお坊さんが、ここをお通りになると聞いて待っていました。
一番始めにこられたお坊さんは、
火界(かかい)の呪文を唱えておられたので、
こしの上は一面の火の海でございました。
うっかり近寄ろうものなら、
こちらが焼け死んでしまいますので、一目散に逃げました。
次に来られたお坊さんは、不動明王(ふどうみょうおう)の呪文を
唱えておられたうえに、セイタカ童子が鉄の杖を持って守っておられました。
それでまた、大急ぎで逃げました。
今度のお坊さまは、恐ろしい呪文はお唱えにならず、
ただ、お経を心の中でよんでおられただけでした。
それで恐ろしいとも思わなかったのですが、
こうして、捕まえられてしまいました」
中国のテングが、やっとこう答えると、童子たちは、
「大して、重い罪人でもなさそうだ。許して逃がしてやろう」
と、言って、みんなでひと足ずつ老法師の腰を踏みつけると、
向こうへ行ってしまいました。
慈恵大僧正(じえだいそうじょう)の一行が山を上って行ってしまうと、
日本のテングはそっとやぶの中からはい出して来ました。
そして腰の辺りをさすっている、中国のテングのそばに行きました。
「いかがなされた。今度は、うまく行きましたかな?」
日本のテングは、しらぬ顔で聞きました。
すると中国のテングは、目に涙を浮かべながら答えました。
「そんな、ひどい事を言って下さるな。
さながら、生き仏の様な徳の高い名僧たち相手に、
勝てるはずもないではないか」
「ごもっともでござる。
しかし、あなたは中国という大国のテングではござらぬか。
それゆえ、日本の様な小国の人など、たとえ高僧、名僧とはいっても、
心のままにこらしめる事が出来ると思うたまでの事でござる。
・・・が、この様に腰まで折られるとは、まことにお気の毒な事でござるわ」
日本のテングもさすがに気の毒だと思い、
中国のテングを北山にある温泉に連れて行きました。

そして折られた腰を温泉に入れて治してやってから、
中国の国へ送り返してやったという事です。
おしまい
長文のお話を最後までお読みいただいてありがとうございましたm(*^_^*)m
2015年01月31日
ききみみ…こんな記事見つけました!
こんな出来事

母が電車に座っていて
目の前の80歳過ぎの男性に
席を譲ろうとしたが固辞され、
降りる間際「後で読んでください」と
何か書いた紙を渡された。
駅で恐る恐る読むと
「席を譲ってくれて有難う。
あなたは学徒出陣の頃の
初恋の人に似ていた」と
書いてあった…。
なんだか心が洗われたような・・・。
2015年01月30日
ききみみ・・・昔話♪
ききみみあんこの今日のお話は~
若返りの水

むかしむかし、山のふもとの小さな村に、
おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんの仕事は、炭焼きです。
山の木を切って、炭を焼いて俵(たわら)に詰めて、
近くの町ヘ売りに行くのです。
でもおじいさんは、この頃年を取って仕事が辛くなりました。
「ああ、腰は曲がるし、目はしょぼしょぼするし。
・・・嫌になってしもうたなあ」

その日もおじいさんは炭俵をかついで、
ヨタヨタと山を下り始めました。
とても暑い日だったので、喉がカラカラに渇きます。
ふと見ると、道ばたに突き出た岩から、
きれいな水がチョロチョロと吹き出していました。
「こいつは、ありがたい」
おじいさんは、その冷たい水を飲みました。
とてもおいしい水です。
「ああ、うまかった。何だか腰がシャンと伸びた様だぞ」
おじいさんは水のおかげで元気が出たのだと思い、
深く考えもせずに山を下りて家へ帰ってきました。
「ばあさんや、帰ったよ」
「おや、早かったですね。おじいさん・・・!」
おばあさんはビックリ。
目をパチパチさせて、おじいさんを見上げました。
いいえ、おじいさんではなく、
そこにいたのはおばあさんがお嫁に来た頃の、
あの頃の若いおじいさんでした。

「・・・わたしは、夢でも見ているんじゃあ、ないでしょうかね」
おじいさんもおばあさんに言われて始めて、
自分が若返っている事に気づきました。
「若返りの水というのがあると聞いていたが、
それではあれがその水だったんだな」
おじいさんは岩から吹き出していた、
きれいな冷たい水の事をおばあさんに話して聞かせました。
「まあ、そんなけっこうな水があるんなら、
わたしも行って頂いてきましょう」
おばあさんはそう言って、次の日さっそく山へ出かけて行きました。
おじいさんはおばあさんがさぞかし若くきれいになって、
帰って来るだろうと楽しみにして待っていました。
ところが昼になっても、夜になっても、おばあさんは帰ってきません。
おじいさんは心配になって、村の人と山へ探しに行きました。
でも、おばあさんはいません。
「いったい、どこへ行ってしまったんだろうなあ?」
「キツネに化かされて、山奥へ連れて行かれてしまったのとちがうか?」
みんなが話し合っていると、

「オギャー、オギャー」
と、そばの草むらの中から、
赤ん坊の泣き声が聞こえて来ました。
おじいさんが近づいてみると、おばあさんの着物を着た赤ちゃんが、
顔をまっ赤にして泣きじゃくっていました。

「・・・馬鹿だなあ、ばあさんの奴。飲み過ぎて赤ん坊になってしもうた」
仕方がないので、おじいさんは赤ん坊を抱いて家へ帰りました。
おしまい
若返りの水

むかしむかし、山のふもとの小さな村に、
おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんの仕事は、炭焼きです。
山の木を切って、炭を焼いて俵(たわら)に詰めて、
近くの町ヘ売りに行くのです。
でもおじいさんは、この頃年を取って仕事が辛くなりました。
「ああ、腰は曲がるし、目はしょぼしょぼするし。
・・・嫌になってしもうたなあ」

その日もおじいさんは炭俵をかついで、
ヨタヨタと山を下り始めました。
とても暑い日だったので、喉がカラカラに渇きます。
ふと見ると、道ばたに突き出た岩から、
きれいな水がチョロチョロと吹き出していました。
「こいつは、ありがたい」
おじいさんは、その冷たい水を飲みました。
とてもおいしい水です。
「ああ、うまかった。何だか腰がシャンと伸びた様だぞ」
おじいさんは水のおかげで元気が出たのだと思い、
深く考えもせずに山を下りて家へ帰ってきました。
「ばあさんや、帰ったよ」
「おや、早かったですね。おじいさん・・・!」
おばあさんはビックリ。
目をパチパチさせて、おじいさんを見上げました。
いいえ、おじいさんではなく、
そこにいたのはおばあさんがお嫁に来た頃の、
あの頃の若いおじいさんでした。

「・・・わたしは、夢でも見ているんじゃあ、ないでしょうかね」
おじいさんもおばあさんに言われて始めて、
自分が若返っている事に気づきました。
「若返りの水というのがあると聞いていたが、
それではあれがその水だったんだな」
おじいさんは岩から吹き出していた、
きれいな冷たい水の事をおばあさんに話して聞かせました。
「まあ、そんなけっこうな水があるんなら、
わたしも行って頂いてきましょう」
おばあさんはそう言って、次の日さっそく山へ出かけて行きました。
おじいさんはおばあさんがさぞかし若くきれいになって、
帰って来るだろうと楽しみにして待っていました。
ところが昼になっても、夜になっても、おばあさんは帰ってきません。
おじいさんは心配になって、村の人と山へ探しに行きました。
でも、おばあさんはいません。
「いったい、どこへ行ってしまったんだろうなあ?」
「キツネに化かされて、山奥へ連れて行かれてしまったのとちがうか?」
みんなが話し合っていると、

「オギャー、オギャー」
と、そばの草むらの中から、
赤ん坊の泣き声が聞こえて来ました。
おじいさんが近づいてみると、おばあさんの着物を着た赤ちゃんが、
顔をまっ赤にして泣きじゃくっていました。

「・・・馬鹿だなあ、ばあさんの奴。飲み過ぎて赤ん坊になってしもうた」
仕方がないので、おじいさんは赤ん坊を抱いて家へ帰りました。
おしまい
2015年01月16日
ききみみ…昔話♪
ききみみあんこの今日のお話は~
わらしべ長者

むかしむかし、ある若者が、
お寺で観音様(かんのんさま)にお願いをしました。
「どうか、お金持ちになれますように」
すると、観音様が言いました。
「ここを出て、始めにつかんだ物が、お前を金持ちにしてくれるだろう」
喜んだ若者は、お寺を出た途端、
石につまずいてスッテンと転びました。

そしてそのひょうしに、
一本のわらしべ(→イネの穂の芯)をつかみました。
「観音様がおっしゃった、始めにつかんだ物って、これの事かなあ?
とても、これで金持ちになるとは思えないが」
若者が首をひねりながら歩いていると、
プーンと一匹のアブが飛んできました。
若者はそのアブを捕まえると、
持っていたわらしべに結んで遊んでいました。
すると向こうから立派な牛車(ぎっしゃ)がやって来て、
中に乗っている子どもが言いました。
「あのアブが、欲しいよう」
「ああ、いいとも」
若者が子どもにアブを結んだわらしべをあげると、
家来の者がお礼にミカンを三つくれました。

「わらしべが、ミカンになったな」
また歩いていると、道ばたで女の人が、
喉が渇いたと言って苦しんでいます。
「さあ、水の代わりに、このミカンをどうぞ」
女の人はミカンを食べて、元気になりました。
そしてお礼にと、美しい布をくれました。
「今度は、ミカンが布になったな」

若者がその布を持って歩いていると、
ウマが倒れて困っている男の人がいました。
「どうしました?」
「ウマが病気で倒れてしまったのです。
町に行って布と交換(こうかん)する予定だったのに。
今日中に布を手に入れないと、困るのです」
「では、この布とウマを交換してあげましょうか?」
若者が言うと、男の人は大喜びで布を持って帰りました。
若者がウマに水をやったり体をさすったりすると、
ウマはたちまち元気になりました。
よく見ると、大変立派なウマです。
「今度は布が、ウマになったな」
そのウマを連れて、また若者が歩いていると、
今度は引っ越しをしている家がありました。
そしてそこの主人が、若者の立派なウマを見て言いました。

「急に旅に出る事になってウマが必要なのじゃが、
そのウマをわしの家や畑と交換してもらえないかね」
若者は立派な家と広い畑をもらって、大金持ちになりました。
一本のわらしべから大金持ちになったので、
みんなはこの若者を『わらしべ長者(ちょうじゃ)』と呼びました。
おしまい
わらしべ長者

むかしむかし、ある若者が、
お寺で観音様(かんのんさま)にお願いをしました。
「どうか、お金持ちになれますように」
すると、観音様が言いました。
「ここを出て、始めにつかんだ物が、お前を金持ちにしてくれるだろう」
喜んだ若者は、お寺を出た途端、
石につまずいてスッテンと転びました。

そしてそのひょうしに、
一本のわらしべ(→イネの穂の芯)をつかみました。
「観音様がおっしゃった、始めにつかんだ物って、これの事かなあ?
とても、これで金持ちになるとは思えないが」
若者が首をひねりながら歩いていると、
プーンと一匹のアブが飛んできました。
若者はそのアブを捕まえると、
持っていたわらしべに結んで遊んでいました。
すると向こうから立派な牛車(ぎっしゃ)がやって来て、
中に乗っている子どもが言いました。
「あのアブが、欲しいよう」
「ああ、いいとも」
若者が子どもにアブを結んだわらしべをあげると、
家来の者がお礼にミカンを三つくれました。

「わらしべが、ミカンになったな」
また歩いていると、道ばたで女の人が、
喉が渇いたと言って苦しんでいます。
「さあ、水の代わりに、このミカンをどうぞ」
女の人はミカンを食べて、元気になりました。
そしてお礼にと、美しい布をくれました。
「今度は、ミカンが布になったな」

若者がその布を持って歩いていると、
ウマが倒れて困っている男の人がいました。
「どうしました?」
「ウマが病気で倒れてしまったのです。
町に行って布と交換(こうかん)する予定だったのに。
今日中に布を手に入れないと、困るのです」
「では、この布とウマを交換してあげましょうか?」
若者が言うと、男の人は大喜びで布を持って帰りました。
若者がウマに水をやったり体をさすったりすると、
ウマはたちまち元気になりました。
よく見ると、大変立派なウマです。
「今度は布が、ウマになったな」
そのウマを連れて、また若者が歩いていると、
今度は引っ越しをしている家がありました。
そしてそこの主人が、若者の立派なウマを見て言いました。

「急に旅に出る事になってウマが必要なのじゃが、
そのウマをわしの家や畑と交換してもらえないかね」
若者は立派な家と広い畑をもらって、大金持ちになりました。
一本のわらしべから大金持ちになったので、
みんなはこの若者を『わらしべ長者(ちょうじゃ)』と呼びました。
おしまい
Posted by ききみみあんこ at
16:13
│Comments(2)
2015年01月15日
ききみみ…昔話♪
年末年始、ばたばたですっかりブログもお休みでした。
今年もまた
昔話をお読みいただけたら嬉しいです!
では、今日はこんなお話を~
招き猫になった猫
むかしむかし、江戸の上野の山の下にある乾物屋(かんぶつや)で
飼われているネコが、たった一匹、子ネコを生みました。

その子ネコというのが、何と人間が怒った顔そっくりだったのです。
何日かすると、乾物屋の主人は、
「何とも気味が悪い。まるで人を恨んでおるような顔じゃ。
これでは客も怖がって、店に来なくなる。そんなネコ、早くどこかへ捨ててこい」
と、店の若い者に、お寺の多い寺町に捨てに行かせました。

店の若い男は子ネコをふところに入れると、
大きな池のほとりを歩いて寺町に向かいました。
「ニャー」
途中でお腹が空いたのか、子ネコが鳴き始めました。
「これ、鳴くのを止めないか」
店の若い男は、叱ろうとしてふところを開きました。
すると子ネコはいきなり飛び上がって、
喉元に小さな口を押し当ててきたのです。

子ネコは、おっぱいを探していたのですが、
それを噛みついて来たと勘違いした店の若い男は、
「わあー! 何だこいつ!」
と、大声を上げて、子ネコを振り落としました。
男の叫び声を聞いて、
池のほとりにある茶屋のおじいさんが飛び出してきました。
「何じゃ。一体何事だ」
茶屋のおじいさんは、若い男から子ネコの話を聞くと、
「そんな事で捨てられるとは、何と可愛そうな事を。
まあ、確かに少し変わった顔をしておるが、
よく見れば可愛いじゃないか。
よし、わしが飼ってやるから、置いて行きなさい」
と、言って、その子ネコを茶屋で飼う事にしたのです。

さて、それからはこの子ネコの顔が変わっているというので、
わざわざ遠くから茶屋に見に来る人が増えてきました。

子ネコはお客さんを招いてくれる『招きネコ』となって、
池のほとりにあるおじいさんの茶屋を繁盛させたという事です。
おしまい
今年もまた
昔話をお読みいただけたら嬉しいです!
では、今日はこんなお話を~
招き猫になった猫
むかしむかし、江戸の上野の山の下にある乾物屋(かんぶつや)で
飼われているネコが、たった一匹、子ネコを生みました。

その子ネコというのが、何と人間が怒った顔そっくりだったのです。
何日かすると、乾物屋の主人は、
「何とも気味が悪い。まるで人を恨んでおるような顔じゃ。
これでは客も怖がって、店に来なくなる。そんなネコ、早くどこかへ捨ててこい」
と、店の若い者に、お寺の多い寺町に捨てに行かせました。

店の若い男は子ネコをふところに入れると、
大きな池のほとりを歩いて寺町に向かいました。
「ニャー」
途中でお腹が空いたのか、子ネコが鳴き始めました。
「これ、鳴くのを止めないか」
店の若い男は、叱ろうとしてふところを開きました。
すると子ネコはいきなり飛び上がって、
喉元に小さな口を押し当ててきたのです。

子ネコは、おっぱいを探していたのですが、
それを噛みついて来たと勘違いした店の若い男は、
「わあー! 何だこいつ!」
と、大声を上げて、子ネコを振り落としました。
男の叫び声を聞いて、
池のほとりにある茶屋のおじいさんが飛び出してきました。
「何じゃ。一体何事だ」
茶屋のおじいさんは、若い男から子ネコの話を聞くと、
「そんな事で捨てられるとは、何と可愛そうな事を。
まあ、確かに少し変わった顔をしておるが、
よく見れば可愛いじゃないか。
よし、わしが飼ってやるから、置いて行きなさい」
と、言って、その子ネコを茶屋で飼う事にしたのです。

さて、それからはこの子ネコの顔が変わっているというので、
わざわざ遠くから茶屋に見に来る人が増えてきました。

子ネコはお客さんを招いてくれる『招きネコ』となって、
池のほとりにあるおじいさんの茶屋を繁盛させたという事です。
おしまい
2015年01月14日
星ホテルは星や朝陽と一体になれるホテルでした♪
仕事を頑張って片付けて、
遅いお正月休みに星ホテルへ・・・。


さらっとしたお湯に浸かるとなんと目の前に相模湾が広がっていました!
ホテルのロビーにはその日の日の出時間が書かれていて
それを参考に、早起きして朝風呂へ・・・。
あ~~黒い雲が・・・。でもそのうちきっと見られる!
そう念じながら、体を洗いシャンプーをして、岩風呂を楽しみました!
もし、朝日が昇ったら、何も障害物のないところで撮りたいと
階段を下りて陶器のお風呂のある個室へ・・・。
何もない枠の広い窓が大きいので、朝の漁に出ている船から見られないかと
いらぬ心配をしながら、待つこと1分・・・。

出てくれましたーーーーー!!!
まばゆい光を温存した朝日は、見ている間に閃光を放つ球体になって
暖かい光を海に映し出していました。


感動、ただ感動・・・・・。
昨夜の星空の下の露天風呂もロマンチックでしたし、海鮮焼きも豪快でした。

感動できる自分にも嬉しくなった旅でした!
そして、お・ま・け…手荒れがすっかり治っていてツルツルに!
嬉しいおみやげでした。
遅いお正月休みに星ホテルへ・・・。


さらっとしたお湯に浸かるとなんと目の前に相模湾が広がっていました!
ホテルのロビーにはその日の日の出時間が書かれていて
それを参考に、早起きして朝風呂へ・・・。
あ~~黒い雲が・・・。でもそのうちきっと見られる!
そう念じながら、体を洗いシャンプーをして、岩風呂を楽しみました!
もし、朝日が昇ったら、何も障害物のないところで撮りたいと
階段を下りて陶器のお風呂のある個室へ・・・。
何もない枠の広い窓が大きいので、朝の漁に出ている船から見られないかと
いらぬ心配をしながら、待つこと1分・・・。

出てくれましたーーーーー!!!
まばゆい光を温存した朝日は、見ている間に閃光を放つ球体になって
暖かい光を海に映し出していました。


感動、ただ感動・・・・・。
昨夜の星空の下の露天風呂もロマンチックでしたし、海鮮焼きも豪快でした。

感動できる自分にも嬉しくなった旅でした!
そして、お・ま・け…手荒れがすっかり治っていてツルツルに!
嬉しいおみやげでした。
2015年01月09日
ききみみこんな記事見つけました!
家でゴロ寝が疲労の元!? 脳科学者が教える「リラックス脳」の作り方
コラム 2014/12/13 14:00 - Woman type
“変化のないライフスタイル”を送っている人は、
脳がリラックスしづらくなっている!?
忙しく働いている女性の中には、
「職場を離れてもなかなか気持ちが休まらない……」という人が少なくない。
また、休日に体を休めても、何となく疲労感が取れずに悩んでいるという人も
多いのではないだろうか?
そこで、医学博士・米山公啓さんに、脳科学の観点から、
心身の健康を維持していくために必要な、疲労解消のコツを教えていただいた。

■脳を休めないのは危険
「うつ」や重大な病気の引き金に!
「心身の健康を維持していくためには、体を休めるだけではなく、
脳からしっかりリラックスさせ、疲労を回復させることが大切です。
脳がリラックスしている状態とは、副交感神経が優位に働いている状態のこと。
逆に、交感神経が優位の状態では、脳も活発に働いている状態。
この、『リラックス脳』と『働き脳』を上手に切り替えられるようになれば、
心身をしっかりと休められるようになるはずです」
と米山先生。
また、脳をリラックスさせない状態が続くと、
精神の安定を促す神経伝達物質であるセロトニンが減少し、
「うつ」症状に陥りやすくなってしまう。
さらに、血圧の上昇などの身体症状が出ることもあり、
重大な病気の引き金になってしまう可能性もあるそうだ。
「いつも代わり映えしない、“変化のないライフスタイル”を送っている人は、
脳がリラックスしづらくなっているので要注意。
例えば、何か緊張することが終わったときに『ほっ』として
頭がぼんやりするような感覚を味わったことがある人は多いと思いますが、
それは脳がリラックスしている状態だからです。
このように、脳をリラックスさせるためには、
あえて緊張状態を通過することが必要になるのです」
■体を動かさない≠休む
脳のリラックスには「変化」が必須
脳をリラックスモードへと切り替えるためには、
「緊張」と「緩和」のメリハリが大切だという。
米山さんによれば、日々の暮らしの中に意図的に「変化」を
仕掛けていくことが、そのメリハリづくりに繋がるとのこと。

「私たちの脳は、常に『変化』による刺激を求めています。
例えば、一日中同じ部屋でじっとしていたら、気が滅入ってきますよね。
一方で、人と会って話をしたり、知らない土地に出掛けたりすると、
ワクワクする気持ちと同時に少なからず緊張するはず。
この「緊張」から解放されるとき、脳は深くリラックスするものなのです。
ジェットコースターで例えると、緊張という山が高いほど、
その後に深いリラックスモードに急降下するイメージ。
逆に、低めの山すらなければ、リラックスモードへと降下することができません」
「疲れているから」という理由で休日はいつも家で
ゴロゴロしているという人も多いかもしれないが、
実はその行動が脳のリラックスを阻んでしまっているのだ。
「いつもコンビニのご飯ばかり食べているという人は、
時には高級なレストランに足を運んでみるも良し。
いつも同じ友人とばかり一緒にいるという人は、
新しい出会いがあるような場所に出向いてみるのも良いでしょう。
日頃の生活の中に『変化』を散りばめて、
自分で緊張するシーンを作り出してみてください。
『働き脳』から『リラックス脳』への切り替えが自然と行われるようになり、
心身をしっかり休められるようになるはずです」
■不眠・動悸・めまいは
脳が出す「休みたい」サイン!?
「脳がリラックスせずに心身が休まらない状態が続くと、
うつ症状が出たりすると説明しました。
ですが、そういった重い症状が現れる前に、脳はさまざまな危険信号を出すはずです。
そのシグナルを見極めて、心身の健康状態を自分で管理できるようにしていきましょう」
例えば、夜の寝付きの悪さなど、不眠の症状を感じ始めたら、
脳がリラックスできていない証拠。
副交感神経が優位に働くべきシチュエーションで、交感神経が優位に
なってしまっている可能性があるそうだ。
また、動悸やめまいなどを感じるようなら、さらに危険度が高いという。
「これらの症状を自覚したら、すぐに『リラックス脳』への切り替えを
実践してほしいと思います。
また、ウォーキングを日々の生活に加えると、
体内の血のめぐりが活性化して脳の動きも活発化するのでお薦めです。
1日40分程度歩くことが理想的ですが、続けて歩くことが困難なら、
10分程度のウォーキングを4回に分けてみてもOKです。
歩いた後には深いリラックス効果を実感できるはずですよ」
体はしっかり休めているのに疲労感が続いていたり、
気持ちのリフレッシュができずにいる場合、
『働き脳』と『リラックス脳』の切り替えがうまくいっていないかもしれない。
脳を休ませないまま働き続けて不調を招いてしまう前に、
意識的に自分の脳を休ませてあげるよう工夫してみては?
【お話を伺った方】
医学博士・作家
米山公啓さん
1952年山梨県生まれ。作家、神経内科医。元聖マリアンナ医科大学第2内科助教授。1998年より本格的な著作活動を開始し、医学ミステリー、小説、エッセイ、医療実用書など、現在までに280冊以上を上梓。講演会、テレビ・ラジオ出演、テレビ番組企画・監修などでも活躍中。日本老年学会評議員、日本脳卒中学会評議員、日本ブレインヘルス協会理事
■取材・文/上野真理子
コラム 2014/12/13 14:00 - Woman type
“変化のないライフスタイル”を送っている人は、
脳がリラックスしづらくなっている!?
忙しく働いている女性の中には、
「職場を離れてもなかなか気持ちが休まらない……」という人が少なくない。
また、休日に体を休めても、何となく疲労感が取れずに悩んでいるという人も
多いのではないだろうか?
そこで、医学博士・米山公啓さんに、脳科学の観点から、
心身の健康を維持していくために必要な、疲労解消のコツを教えていただいた。

■脳を休めないのは危険
「うつ」や重大な病気の引き金に!
「心身の健康を維持していくためには、体を休めるだけではなく、
脳からしっかりリラックスさせ、疲労を回復させることが大切です。
脳がリラックスしている状態とは、副交感神経が優位に働いている状態のこと。
逆に、交感神経が優位の状態では、脳も活発に働いている状態。
この、『リラックス脳』と『働き脳』を上手に切り替えられるようになれば、
心身をしっかりと休められるようになるはずです」
と米山先生。
また、脳をリラックスさせない状態が続くと、
精神の安定を促す神経伝達物質であるセロトニンが減少し、
「うつ」症状に陥りやすくなってしまう。
さらに、血圧の上昇などの身体症状が出ることもあり、
重大な病気の引き金になってしまう可能性もあるそうだ。
「いつも代わり映えしない、“変化のないライフスタイル”を送っている人は、
脳がリラックスしづらくなっているので要注意。
例えば、何か緊張することが終わったときに『ほっ』として
頭がぼんやりするような感覚を味わったことがある人は多いと思いますが、
それは脳がリラックスしている状態だからです。
このように、脳をリラックスさせるためには、
あえて緊張状態を通過することが必要になるのです」
■体を動かさない≠休む
脳のリラックスには「変化」が必須
脳をリラックスモードへと切り替えるためには、
「緊張」と「緩和」のメリハリが大切だという。
米山さんによれば、日々の暮らしの中に意図的に「変化」を
仕掛けていくことが、そのメリハリづくりに繋がるとのこと。

「私たちの脳は、常に『変化』による刺激を求めています。
例えば、一日中同じ部屋でじっとしていたら、気が滅入ってきますよね。
一方で、人と会って話をしたり、知らない土地に出掛けたりすると、
ワクワクする気持ちと同時に少なからず緊張するはず。
この「緊張」から解放されるとき、脳は深くリラックスするものなのです。
ジェットコースターで例えると、緊張という山が高いほど、
その後に深いリラックスモードに急降下するイメージ。
逆に、低めの山すらなければ、リラックスモードへと降下することができません」
「疲れているから」という理由で休日はいつも家で
ゴロゴロしているという人も多いかもしれないが、
実はその行動が脳のリラックスを阻んでしまっているのだ。
「いつもコンビニのご飯ばかり食べているという人は、
時には高級なレストランに足を運んでみるも良し。
いつも同じ友人とばかり一緒にいるという人は、
新しい出会いがあるような場所に出向いてみるのも良いでしょう。
日頃の生活の中に『変化』を散りばめて、
自分で緊張するシーンを作り出してみてください。
『働き脳』から『リラックス脳』への切り替えが自然と行われるようになり、
心身をしっかり休められるようになるはずです」
■不眠・動悸・めまいは
脳が出す「休みたい」サイン!?
「脳がリラックスせずに心身が休まらない状態が続くと、
うつ症状が出たりすると説明しました。
ですが、そういった重い症状が現れる前に、脳はさまざまな危険信号を出すはずです。
そのシグナルを見極めて、心身の健康状態を自分で管理できるようにしていきましょう」
例えば、夜の寝付きの悪さなど、不眠の症状を感じ始めたら、
脳がリラックスできていない証拠。
副交感神経が優位に働くべきシチュエーションで、交感神経が優位に
なってしまっている可能性があるそうだ。
また、動悸やめまいなどを感じるようなら、さらに危険度が高いという。
「これらの症状を自覚したら、すぐに『リラックス脳』への切り替えを
実践してほしいと思います。
また、ウォーキングを日々の生活に加えると、
体内の血のめぐりが活性化して脳の動きも活発化するのでお薦めです。
1日40分程度歩くことが理想的ですが、続けて歩くことが困難なら、
10分程度のウォーキングを4回に分けてみてもOKです。
歩いた後には深いリラックス効果を実感できるはずですよ」
体はしっかり休めているのに疲労感が続いていたり、
気持ちのリフレッシュができずにいる場合、
『働き脳』と『リラックス脳』の切り替えがうまくいっていないかもしれない。
脳を休ませないまま働き続けて不調を招いてしまう前に、
意識的に自分の脳を休ませてあげるよう工夫してみては?
【お話を伺った方】
医学博士・作家
米山公啓さん
1952年山梨県生まれ。作家、神経内科医。元聖マリアンナ医科大学第2内科助教授。1998年より本格的な著作活動を開始し、医学ミステリー、小説、エッセイ、医療実用書など、現在までに280冊以上を上梓。講演会、テレビ・ラジオ出演、テレビ番組企画・監修などでも活躍中。日本老年学会評議員、日本脳卒中学会評議員、日本ブレインヘルス協会理事
■取材・文/上野真理子